信濃国分寺に行ってきました。

この記事について

 この記事は、「信濃国分寺に行ってきました。」です。

 本来なら緊急事態宣言あけでスケジューリングしていたのですが、あけなかったので、ほぼ直行直帰になってしまいました。

 結論からいうと、通りかかるたびに感じていたイメージ通り、大したところではなかったのですが。

史跡信濃国分寺跡

 史跡信濃国分寺跡は、文字通り遺跡の跡ですね。

 国破れて山河在りって感じで、マジで発掘調査後の草地しか残っていません。

 一応、かつての建物配置が分かるような石材とか階段とかは、整備されているのですが、ほぼなにもない割に、見通しが良く結構広い空間ががらーんとあって、違和感が凄いです。

 国分寺は、超雑に奈良時代の天皇の発令で、全国各地に作られた役所みたいなものだったようです。

 京都から全国へ張り巡らされた道の一つの東山道と言う道が通っていたようで、京都との交流も結構あったようでした。

 最後は、平将門の乱の頃に焼失してしまったとかなんとか。

 作りとしては、京都の史跡のように周囲をぐるっと屋根瓦の付いた塀で囲み、中に金堂、講堂といった当時としてはかなり豪華なお堂が建てられていたようでした。

 今となってはただの草地なのですが。

 ちなみに建立の際に相当大量のかわらが必要だったせいか、土器用の窯の遺跡とかもあったりします。

 コロナ影響で、施錠されていて見れなかったのですが・・・。

 面白いのは、国分寺と国分尼寺があったらしいあたりですかね。

 はっきり別の敷地に建てられ、ほぼ同じくらいの規模だったそうです。

 今でいうと、男性用の市役所と女性用の市役所があったみたいな印象を受けたんですが、どうなんですかね。

 ちなみに、実際の跡地は、本当に学校の校庭くらいの広さの草地と、市民公園みたいなスペースがあるだけです。

 このため、実際の観光的には、隣接する上田市立信濃国分寺資料館ということになります。

 無料駐車場有り、入館料は210円です。

 こちらの展示内容の方は、この地方がまだ文化の中心地だったらしい、原始時代から、奈良時代くらいまでの内容になります。

 印象としては、ほぼほぼ原始時代の内容で、個人的にはいまいちでした。

 あちこち行った結果、割と古いものには興味があることが分かったのですが、さすがに原始時代まで行ってしまうと駄目のようです。

 具体的な展示内容としては、この上田の辺りで原始時代の遺跡がかなり見つかっているらしく、石器や土器の実物が滅茶苦茶多いです。

 石器や土器の時代ごとの進化とかが、実物を見ながらかなり細かく勉強できます。

 それ以外にも、学校の歴史の教科書の原始時代に乗っているような内容がざくっと書いてある感じです。

 ちなみにこの地方の当初の令制国の国司が政務を執る施設である国府っていうか、超雑に言うと昔の役所は、上田にあったそうです。

 石器時代の遺跡が大量に見つかったことから、当時はこの地方にかなりたくさんの人が暮らしていたのかもしれませんね。

 もっともその後、この国府は、やはりアクセスの楽な松本の方へ移動してしまい、この地方が歴史的に輝いていた時代は終わってしまうようでしたが。

 

信濃国分寺

 信濃国分寺は、現存する普通のお寺ですね。

 今で普通に信濃国分寺っていうと、こちらになります。

 無料駐車場有り、拝観料とかは無料です。

 信濃国分寺跡から、徒歩5分くらいです。

 こちらは、昔の信濃国分寺が荒廃した平安から奈良時代の頃に、地元の人に建てられたらしい地元のお寺になります。

 本堂は、善光寺を小さくしたみたいな感じで、結構豪華です。

 お坊さんとかの姿は見えなかったのですが、地元のオッサン数人がたむろって雑談していたり、凄い静かだったりで、雰囲気の良いお寺です。

 確かに近所だったら、ぼーっと時間を過ごせるスポットと言っても良いと思いました。

 もっとも、境内には室町時代建立らしい、高さ20mのかなり立派な重要分際指定の三重塔があり、史跡としての格はかなり高いと思います。

 よくこんなものが大事に保存されてきたと思います。

 特筆すべき点としては、かなり古い鐘楼が一般に開放されており、周囲が住宅地だというのに、自由に結構でっかい釣鐘を鳴らすことが出来ます。

 実際に鐘楼をついてみたのですが、かなり大きい音が出て、こちらが逆に不安になりました。

 また休憩所とかには、50年くらい前の漫画雑誌とかが普通に閲覧可能状態で本棚に入ってたりして、時間の止まってしまっている感が凄いです。

 ちなみにこちらは、戦国時代の真田氏関係でも名前が出てくる場所ですね。

 真田氏は、戦国時代の末期に、色々あってお家存続の為に相談して、豊臣側と徳川側に分かれたりするのですが、この都合で、関ケ原の合戦前くらいに徳川秀忠の大軍に、第2次上田合戦で上田城を攻められたりしています。

 この時の豊臣側に着いた真田昌幸(幸村の父)と、徳川側について講和の使者みたいな感じで派遣されてきた真田信幸とが、会見したのがこの地であったとか言われているようでした。

 実際に昌幸側には、講和の意志は全くなく、単なる時間稼ぎに使われた上、徳川秀忠は、この辺で遊んでいたせいで、関ケ原の合戦に間に合わなかったなんて説もありますので、やらかした信幸は、かなり胃が痛かったじゃないかと思います。

 

まとめ

 信濃国分寺自体は、上田駅から歩ける距離でもないため、よほど時間を持て余したとかではない限り、行く必要がないと思います。

 原始時代が好きな方であっても、資料の量がちょっと少なすぎる感じがしました。

 逆に、地元の人が気分転換に行く場所としては、かなりリッチだと思います。

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とある企業の知財部で働く一応弁理士です。 国内特許系メインの日々の業務とか、試験対策ネタとか書いています。 受験時代は某L社系列の某B,M講師をメインに習っていました。 Copyright (C) 2010 - 2017 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

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